今号のHUMANITYでは、THREEのクリエイターを率いるグローバル メイクアップアーティスト・佐藤裕太にフォーカス。国内外のメイクショーやイベント、ワークショップでお客様の前に登場する一方で、雑誌や広告のメイクアップ、コレクションバックステージなどでも活躍する彼のパーソナリテ……
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ィに、日経BP社「etRouge」編集長でビューティ・ディレクターの麻生綾さんが迫ります。
「自由な子どもでした」
―佐藤さんはどんな幼少期を過ごされたのですか? 絵を描くのがとてもお上手と伺いました。インドアな感じ?
「僕、あまり運動が得意じゃないみたいに見られるんですけど、ずっとバスケットボールとサッカーの両方をやっていました。下町で育ったんですが、サッカーチームでは小3から小6までキャプテンで」
―えっ、バスケとサッカーのかけ持ちだなんて。忙しかったでしょう?
「いや、ほかにもさらに習い事していましたよ。小学生のときは……習字、ソロバン、公文。塾にも通っていました」
―なんて教育熱心なご両親!
「いや全然。今にして思うと、親は自分たちの自由になる時間が欲しかったんだと思います(笑)。勉強しろと言われたこともなかったし、塾もゆるいところで、行っても結局ずっと絵を描いて過ごしていたし」
―それじゃあ塾の先生に叱られるでしょう?
「いや、『今日もよく描けたね』って(笑)。だから画力ばかり伸びた感じです」
―おおらかですね(笑)。中学では?
「バスケもサッカーも続けていましたけれど、中2くらいでお洒落に目覚めて、もっぱら関心がそちらの方に……(笑)。ただ、絵はもう少し究めたいと思っていたんです。コンクールとかで賞をいただくことも多くてね。でもあるとき、描いている途中でなんかいやになってしまい、半分だけ色をつけて『未完成』っていうタイトルで適当に出したことがあったんですよ。そうしたらそれが賞を取ってしまい、なんだかなあ……と。自分的には全然ちゃんとやってないのに、なんで?って。違和感を感じて、以来あまり描かなくなってしまいました。あの経験がなかったら、もしかしてそのまま絵の道に進んでいたかもしれません」
『ファッション通信』を観る兄弟。
―そして“お洒落に目覚めた僕”は高校生になるわけですが……?
「高校は場所で選びました」
―場所で? どこですか?
「代官山の隣りの中目黒」
―(爆笑)
「(笑)渋谷も近いし最高のロケーションで、今まで以上に買い物に精を出していましたねえ。3つ上の兄もそうで、二人して家で『ファッション通信』とかを観ていました。」
―当時はテレビ東京ですね。これまた、ずいぶんマニアな番組を。
「それを観ながら兄が『パリコレのバックステージでメイクしたい』とか言うんです。僕は『へえ、そうなんだ』と合わせつつ、内心では『俺のほうができる』って思っていました(笑)。そうこうするうちに、先に兄のほうが本当にメイクアップ・アーティストとして某社に就職しまして」
―えっ、お兄さまもメイクのお仕事を?
「はい、同じ業界なんです。兄は高校卒業後、事務所兼学校みたいな、学びながらアーティストとして働ける会社に入ったんですが、結局、僕もまったく同じ道を。在籍中は、雑誌や映画の撮影にインターンみたいな形で参加して、いろいろ学ばせてもらいました。中でも一番楽しかったのが雑誌やショーのメイクの現場で。『ああ、こんな仕事に就けたらなあ』と、そのときにメイクアップ・アーティストになりたい気持ちが固まったんです」
夢と現実。
―そして就職。
「会社の人に『メイクアップの技術以前に、まずは社会人として、きちんとした言葉遣いや作法を覚えるべき』とのアドバイスをいただきまして、今とは別の化粧品メーカーに就職しました。僕が所属することになったブランドは上り調子でしたし、そりゃあもう、夢でいっぱいでしたよ。新人研修が終わって、実際に店頭に立つまでは」
―店頭に立つまでは……ですか?
「夢と現実のギャップが(笑)。もっと楽しいところと想像していたんです。メイクする自分が楽しい、メイクされた人も楽しい。そう思っていました。ところが現実は、とにかく勉強というか、覚えなきゃならないことが多すぎた。『物を売る』という厳しさを、いやというほど思い知らされました。たとえば、お客さま一人の接客を終えるたび、先輩に裏に呼ばれて怒られるんです。紹介する製品数が少ない、説明がダメ、時間がかかりすぎ、とかね。最初こそ『自分なりにちゃんとやってるし』と強がって聞き流したりもしたのですが、さすがに落ち込んできます。そんな、メイクアップ以外の課題が山のようにあって、『これ俺、大丈夫かな……』と」
―佐藤裕太、最初の危機ですね。
「その後、気づいたのですが、人間って『かくかくしかじか、こうだから』という何らかの理由があれば、どんなに怒られても納得できるんです。でも、あの頃はその理由が省略されていた(笑)。ただ、そのおかげで……理由がない理不尽の中で育ったおかげで、今こうして、何事に対しても柔軟になれる自分がいます。むしろ、強みになったかもしれません。そう思うと、無駄な経験ってないものですね。後にして思えば、ですが(笑)」
―コミュニケーションの大切さをしみじみ感じる今、と。
「まったくその通りです。それがないと、何も始まらない。そう考えるとTHREEのグローバル クリエイティブディレクター、RIE OMOTOさんのコミュニケーション能力は抜群。半端ないですよ! たとえばメイクに限らず、“ピリピリした現場”というのがどの世界にもあると思うんですが、あれって参加者が『理由がなく、ただやらされている感』、もしくは『参加している感がない=モチベーションが持てない』からではないのかなあ? RIEさんの現場にはそれがない。だからみんなが楽しいし、ポジティブになれて、結果よいものができるんです」
後編ではTHREEのグローバル メイクアップアーティストとなった経緯、THREEの魅力、また佐藤 裕太さんの今後の夢について聞いていきます。
〈佐藤 裕太〉
THREE グローバル メイクアップアーティスト。国内外でTHREEのメイクアップショー、ワークショップ、メイクレッスンを行う一方で、各国のエディトリアルやコレクションバックステージでも活躍。社内ではメイクアップスペシャリスト育成プログラムにも力を入れている。THREE TREE JOURNALでは2014年からメイクアップポートレート連載THREE LOVERSのメイクを担当。https://tree.threecosmetics.com/journal/three-lovers/
〈麻生 綾〉
ビューティ・ディレクター/美容編集者。『25ans』『婦人画報』(ハースト婦人画報社)、『VOGUE JAPAN』(コンデナスト・ジャパン)各誌で副編集長を務めた後、2014年1月より日経BP社のビューティ誌『etRouge』編集長。美容モットーは「女は美味しそうでなくっちゃ。」「女は乾かしちゃいけない。」
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THREE グローバル メイクアップアーティスト 佐藤裕太のできるまで(前編)